私は高杉晋作

読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

私は高杉晋作

頭がおかしいと言う人が「頭がおかしい」

「友情関係」の9割が全体主義

まずはこちらの動画を1分ほど見ていただきたい。

 

www.youtube.com

 

たまたま調べ物の過程で見つけたのだが、何かどこかで見たことがあるのではないか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そう。SNSだ。

 

 

 

 

 

 

(いや「そう」じゃねえよ。といわれそうだが、)

 

 

 

 

facebookで友達を作ろうと命をかける人々や、四六時中ラインを触っている人というのは、まさにこの行進と同じ生き方をしている。

 

 

 

 

 

 

隊列を乱すことが「死」を意味するのもそうだし、一人たりともその隊列に遅れてはいけないのもそうだし、その隊列より先に出てはいけないのもそうではないか。

 

 

 

 

 

 

続けてで申し訳ないが、

09:40分辺りからを見てほしい。

www.youtube.com

 

 

 

これなんかまさに、facebookと同じ光景である。

 

ここで、ヒトラーは誰かというと例えば、「結婚しました」とか「引っ越しました」と投稿する誰かだと読み替えてほしい。

 

 

 

 

ここで聞こえてくる民衆の盛り上がりは、「いいね」と同じである。

誰も反論することも許されないし、疑いを持つことも許されない。

 

 

 

 

 

 

そして、その「いいね」が増えれば増えるほど、この演説会場のように収拾の付かない熱気を帯びる。

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

もちろん「無視すればいいじゃん」といわれるかもしれないが、そうはいっても「いいね」という民衆の声が増えるに連れて、強情なあなたも「いいね」しなくてはいけないのではないか?という気になったことがあるはずだ。

 

 

 

 

 

SNSはもちろん一例だが、昨今の友情関係というのは、その中にいることで、堕落することがほとんどだ。

 

 

 

あらゆる思考が「全体主義的」になる。

 

 

 

 

 

「おまえってホント友達いなさそうなことしか言わないよな」

「さみしそうね。可哀想」

 

 

 

 

 

 

 

と思われるかもしれない。

ただ、私からすれば、あなたのほうが可哀想である。

 

 

 

 

 

改めて言うが、昨今の友情の条件というものはろくでもない。

 

今の友情関係の9割以上は、以下の3点で成り立っており、「全体主義的」である。

 

 

 

 

 

1.無批判的に同調する人

 

2.Facebookで友達であること

 

3.「凡庸であること」や「自分の退廃ぶり」を語り合える人

 

 

 

 

 

 1については、例えば、私のように、「結婚したらなんで人生幸せなんですか?離婚率は3割超えてるし、熟年離婚で、下流老人になる可能性は結構ありますよ。大衆に同調するのをやめて、ニーチェの『道徳の彼岸』でも読みなよ」とか

 

「なんで結婚することが幸せなの?大衆迎合やん。オルテガ読んだほうが良いよ」と返そうものならもう「スマブラ」の3対1の対戦がスタートするようなもの。

 

 

「友達」になることはありえない。

 

 

 

 

 

 

 

「あら。幸せそう。羨ましい」

「私も早く結婚したいな」

 

 

と言う人が「友達」だと決まっているのである。答えがあるのだ。

 

これは、全体主義思考が決めたルールである。

 

 

 

 

 

ちなみに誤解があるといけないので言うと、「結婚=悪」と言いたいのではない。

 

そういう人がいるから困るのだが、一般通念に対して、何ら疑いを持たず、礼賛するその思考停止状態を疑問視しているのである。 

 

 

 

 

2つ目は、もうやっていないので、最近はよくわからないが、結構重要な条件となっている。

 

 

 

 

 

私の体験で恐縮だが、

会社に入った時など、「Facebookやってる?」と、言ってくる尻の軽い男や女に「時間が無駄なので、そもそもスマホをもっていないし、SNSはやっていない」といった瞬間ドン引きされ、「友達」になるチャンスを逸した経験を多々した。

 

 (まあいらないが)

 

 

 

 

 

 

「俺もFacebookやってるよもちろん。交換しようぜ。あとLINEもね。今度飲みに行こうぜ」

 

 

というのが、大切なのである。

 

 

 

facebookやLINEをやっていない」というのは、全体主義の世界では許容できないのである。

 

 

 

 

 

 

最後の3つ目も実は、全体主義成立においては重要で、「退廃的に生きていない」ということは、「友達を失う事」になる。

 

 

 

 

 

「友達」というのはみんなで登って行くより降りていくほうが合わせやすいので、堕落しあう必要があり、「昨日も合コンで・・・」とか「昨日朝まで飲んでたわ」ということを話し合うことがもとめられる。

 

 

 

他にも、例えば、「プライベート何してんの?」と聞かれて、

 

 

 

 

「『論語』で君子になる心構えを調べたり『社会契約論』を読みながら「自由」とはなにかを考えてたかな。」

 

 

 

(「そもそも聞かれる相手もいないだろ」というツッコミはここではご遠慮いただきたい)

 

 

 

といえば、「うわ。何こいつ」と思われて、「友達」にはなれない。

 

 

 

そこで、決して、「ああ「自由」ね。俺もよく考える。結構奥が深いよね。個人的には、ミルの『自由論』は良かったから読んだほうが良いんじゃないかなと思う。」とはならない。 

 

 

 

 

「友達と飲み会」

 

Youtube見てダラダラしてるかな」

 

 

と答えるのが、「友達」である。

 

 

 

 あらゆる問いかけは、退廃的であり、凡庸である必要があり、応える内容も退廃的であり、凡庸でなければ、いけない。

 

でなければ、「友情関係」という全体主義のインフラが崩壊する。

 

 

 

 

 

 

別記事で書いたことがあるが、ルフィとか悟空、ナルトが強くなるに連れて仲間が増えているように見えてるが、あれは、ありえない。

 

 

 

 

 

間違いなく、逆である。

ナルトが、和民で合コンをして友達や結婚相手を探していたわけがない。 

 

 

 

 

 

 

 

 

まあ、正直とんでもない怖い世界に生まれてしまったと最近思うばかりだ。

「考えないこと」や「疑いを持たないこと」が 正しいし、「退廃的に生きること」が「正しい」のだから。

 

 

 

 

 

私が文章を書く理由は、『1984』のウィンストンと同じで、書かなければ、自らも洗脳されると考えているからだ。

 

 

 

実は、いつも書いている記事は、誰かに語りかけていると見せかけて自分に問いかけているだけである。

 

 

 

 

 この世は、怖すぎる。

もう一回いうが、「怖すぎる」

 

 

 

おもしろきことなき世を面白く

 

f:id:zyunn14641:20160419164307j:plain

www.amazon.co.jp

 

f:id:zyunn14641:20160419164351j:plain

 

www.amazon.co.jp

 

f:id:zyunn14641:20160305202745j:plain

www.amazon.co.jp