私は高杉晋作

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私は高杉晋作

頭がおかしいと言う人が「頭がおかしい」

世の中の捉え方を誤っている頭のオカシイ人たちについて

世の中にはどうしてこうも頭がオカシイ人で溢れているのか?

 

 

 

最近私が毎日考えることだ。

 

 

 

 

 

例えば、

 

 

なぜアベノミクスで俺の給料は上がらないのか?

 

官僚は悪だ。あいつら税金を無駄に使うだけで仕事をしてない。

 

金持ちは悪人だ。あいつらはもっと俺に金をよこせ。

 

 

こう考える人達に私は辟易している。

 

 

 

 

 

ネットニュースに投稿されるコメントなどを見ていてその人数はとんでもなく多い。

 

 

「頭のおかしな人達」の何千、何万件という言葉がネット上をうめつくす。

 

 

 

 

 

 自分の能力のなさを棚上げし、ひたすらに批判を重ねるバカ達はどうして自分の頭のおかしさに気づくことが出来ないのだろうか?

 

 

 

 

 

 

しかも、「頭のおかしな人」の増加に歯止めをかけたいという私の願いとは裏腹にどんどん増えていっている。

 

 

 

 

 

この増加の要因は何なのか?

 

 

 

 

 

どうやら、彼らは、近代的価値観を支える「自由」「平等」に対する考え方が根本的に間違っているようだ。

 

 

今日は彼らの誤解について考えてみた。

 

 

 

 

 

 

1.自由についての考え方を誤っている

 

「〜したいようにできること」

 

これがバカの考える自由の定義である。

 

 

 

 

 

 

毎晩飲み歩いてばかりの人間が「どうして俺の給料はこんなに安いんだ」と言う。

 

 

一日ごろごろしているだけの人間が、「どうして俺の人生は浮上しないのか」と言う。

 

 

 

 

 

「自分のしたいようにいかない」ときに嘆くだけなのがここでいう「頭のおかしな人達」であり、行動を変えない彼ら・彼女らは何度も言うように「自由」の意味をまるでわかっていない。

 

 

 

 

 

 

 

ヘーゲルは「自由」の本質として「他者との相互承認」により成立すると述べた。

 

 

 

 

 

 

つまり、自分だけで「自由」は獲得し得ないのである。

 

当たり前だが、「他者」からの承認を得て初めて我々は「自由」を謳歌することができる。

 

 

 

 

 

あなたが全裸になりたいと思っても、外ですると警察に捕まるという例がわかりやすいかもしれない。 

 

 

 

 

 

話を戻そう。

 

 

 

プロ野球観戦が生きがいの人がどうして、出世できるというのか?

 

どうして合コンばかりしている人が社会で成功できると考えるのか?

 

 

 

 

 これは、マッキンゼーのコンサルタントに一億つもうが答えは出てこない。

 

 

 

 

 

当たり前と思うかもしれないが、他者に自分の「自由」を承認させることは容易ではない。

 

 

 

そこには、必ず力が伴うことが求められる。

 

 

 

「政治が悪いから」「経済が悪いから」「官僚が悪いから」

 

 

 

 

 

こういう人間の人生がなぜ浮上しないかという答えは明らかだ。

 

 

 

その理由とは、自分の求める「自由」を他者に承認させるべく努力しないからという明快なものだ。

 

 

 

 

正直そういう人たちは、一生UNIQLOを着ていればいいし、一生金の蔵に行けば良いのだが、なにもせず浮上しようと欲望だけは人並み以上である。

 

 

 

利根川の言う「人生に本気になれない病」は深刻だ。

 しかもその人数はあまりに増えてしまい、「みんな努力しないほうが良いんじゃない」というウェーブすらおきつつある。

 

 

 

 

 

 

2.平等についての考え方を誤っている

 

 

あなたの平等に対する考えはどういうものだろうか?

それにより性格が見えると思うのだ。

 

 

 

 

 

 

 

「みんな量産型ザクのような人間になっている状態」を指すのだろうか?

 

 「全員が全身ユニクロをきて、3食を食品添加物が山盛りのコンビニ弁当を食べる世の中」を指すのだろうか?

 

 

 

 

 

 

「共産主義」というと皆そろって「ダメな制度」というレッテルをみんなはっている。

 

 

 

 

しかしながら、「何もしない人と何かをしている人が同じ状態」を「平等」と考えいる人達は、そういった「共産主義社会」を作りたいと思っているとしか思えない。

 

 

 

 

 

 

 

自分のこととなると甘えに甘える。

 

 

 

 

一方で、「やった人はやっただけ報われること」を「平等」と考える人は、努力することができる人間だと思う。

 

 

 

 

 

 

 

さっきから「努力」という言葉を連呼している。

 

正直うざいと思っているかもしれない。

 

 

 

 

 

松岡修造みたいな匂いを感じる人もいるかと思う。

 

 

 

 

 

しかし、「宝くじ当たらねえかなあ」「金持ちからもっと税金を取れ」といっている「頭のおかしな人達」と同じ考えに染まってはいけないのだ。

 

 

 

 

 

「平等」とは、何もしていない人が、努力した人と同じ水準まで自動的に浮上することを意味しないのである。

 

 

 

 

 

 

3.野蛮な人たち

 

一言で言えば、

 

 

「野蛮」なのだ。

 

 

 

 

 

彼ら・彼女らは、ひたすら「自由」と「平等」という言葉を自分にとって都合のいいようにのみ使う。

 

 

 

キルケゴールは「水平化」や「均質化」がすすめられた近代社会に警鐘を鳴らしていた。

 

 

 

 

 

 

「みんなと同じかどうか」が一つの大きな価値尺度となるこの社会においては、傑出したものが悪人に仕立てあげられるという奇妙な事態が頻発する。

 

 

 

「全員が年収400万の世界」を作ろうとするのである。

 

 

 

 

 

 

自分が上がるのではなく、周囲を落とそうとするというのが「頭のオカシイ人」たちに共通している。

 

 

 

そういった人たちは、

 

「多数決」「いいね」

 

 

こういったものが好物である。

 

 

 

 

なぜなら、そういった世界では、「努力したもの」、「能力の有るもの」と「バカ」が同じ力になるからだ。

 

 

 

「バカ」と「天才」が同じ力をもてるのが、SNSなのである。 

 

 

 

 

賢明な人達は、SNSという「頭のオカシイ」世界から距離をおき始めている。

 

 

 

 

 

 「いいね」は努力する者にとって全く「いいね」じゃないのだ。

 

 

 

 

 

 

 

かくいう私も「 楽してなにかしよう」と私も考えてしまうことがある。

「効率化」は目指すべきだが、「野蛮」になってはいけないということを今日は伝えたかった。 

 

 

 

 

 

世の中で当たり前にスルーされている発言や行動に違和感をもう少し持ってみてはいかがだろうか?

 

 

 

 

 

 

お読みいただきありがとうございました。

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