私は高杉晋作

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私は高杉晋作

頭がおかしいと言う人が「頭がおかしい」

繋がることで強くなれるのか?

 

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批判を覚悟で問いかけると、、、、

 

 

 

 

 

 

 

 

これのどこが感動的か教えてほしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

ONEPIECE』『NARUTO』『遊戯王』、、、、

 

 

 

稀代の名漫画と言われるこれらの作品は子どもから大人を惹きつけてやまない。

 

 

 

 

 

 

私も中学の頃までは、ジャンプを楽しみに1週間を生きていた人間と言っても過言ではない。

 

 

しかし、大人びた今、トイレに駆け込みたくなる胸糞悪さが私を襲うのだ。

 

 

 

 

 

 

 

これらの漫画の共通点とは何か?

 

言うまでもなく、「仲間」「友達」「つながり」だ。

 

 

 

 そしてこの特徴が気持ち悪いと私は言っている。

 

 

 

 

あらためて言うまでもないが、週刊少年ジャンプが我々若者世代に与えてた影響は計り知れない。

 

 

 

 

そしてジャンプを読んだ多くの読者が、「仲間がいることで強くなれる」という趣旨の刷り込みを受け育った。

 

 

 

 

 

 

  

繰り返しになるが、「なぜこれが感動的なのか」が全くわからない。

 

 

 

 

 

 

改めて「感動」を辞書で引いてみた。

 

 

 

 

 

 

 

ある物事に深い感銘を受けて強く心を動かされること。

 

 

 

では、「感銘」とは何か?となる。

 

 

 

 

 

 

 

 

忘れられないほど深く感動すること。

 

 

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まさかの

 

トートロジー(循環論法)だ。

 

 

 

 

 

まあ「感動」という言葉は「言葉では言い表せないけど気持ちが高ぶる状態」と解釈しておく。

 

 

 

 

 

本題に戻したい。

これら感動を呼ぶ名作漫画達は、一方で、ひどい害毒を振りまいたというのが今回の趣旨だ。

 

 

 

 今日は、この害毒に蝕まれた現在20代及び30代について考察を行いたい。

 

 

 

 

 

1.第一黄金世代ではそこまで「友情」のゴリ押しではなかった

 

「ジャンプ=友情、仲間、つながり」は初期からあったものではないと私は考える。

 

 

 

 

 

なぜなら、いわゆる第一黄金世代である『ドラゴンボール』『るろうに剣心』『ジョジョの奇妙な冒険』などは、冒頭に紹介した漫画ほど友情のゴリ押しではなかったと思うからだ。

 

 

 

 

 

 

クリリンヤムチャベジータはいとも簡単に死んだし、承太郎の仲間はいつも死にかけていたことはご存知かと思う。

 

 

 

 

 

 

 

まあそれ以外の漫画はくわしく知らないので、あまり述べられないが、やはり現在のジャンプのイメージは第二黄金世代と呼ばれる漫画たちが築いたものだ。

 

 

 

 

 

特に2代巨塔ともいわれた『ONEPIECE』『NARUTO』がこの哲学の権化のような漫画であることから私の仮説は正しいと思っている。

 

 

 

 

 

 

 

そして、この「友情」というものが何よりも大切というのを刷り込まれて育った我々は、精神病と呼べるほど、「友情」を追い求め走り回っている。

 

 

 具体例を上げたい。

 

 

 

 

facebookで友達をつくることに命をかけているバカ

LINEを四六時中見ているバカ

Instagramに毎日料理をあげるバカ 

異業種交流会に参加するバカ

 

 

 

 

こういうバカを生み出したのは、ジャンプにあるというのが私の持論だ。

 

 

ここはブレない。 

 

 

 

 

2.フィクションだから良いんじゃん

 

と言われそうである。

 

 

そんくらい切り分けられるし。

 

 

ともいわれそうだ。

 

 

 

 

 

だが、私はそれを想定して理論武装している。

 

まあもう少しだけ付き合ってほしい。

 

 

 

 

まず言いたいのが、想像以上にフィクションと現実を切り分けられていない人たちで世の中は溢れているということだ。

 

 

 

 

 

SNSなんかを見てほしい。

 

 

 

 

SNSで友達になったらなぜそれが「友達」なのか?

全くもって意味がわからない。

 

 

 

 

 

 

 

だが、ジャンプ第二黄金期世代はそういった疑問を容易に飛び越えている。

 

 

 

 

神がかり的跳躍だ。 

 

 

 

むしろ私のいうことは理解できないだろうし、「可哀想な奴」くらいにしか見えない。

 

 

 

 

 

 

彼ら彼女らからすれば、「Facebookで友達ということが仲間の印だ」という主張は譲れないだろうから議論してもトートロジーに終わるだろう。

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ONE PIECE』に感動する人たちに『あしたのジョー』や『ゴルゴ13』がみせる孤独な男のかっこよさは、わからないだろう。

 

 

 

むしろ、私は男としてのかっこよさは、間違いなく、矢吹ジョー力石徹の方が3枚は上手だと思っている。

 

 

 

 

 

ちなみに私が記事を書く心構えであるが、

 

 

 

 

私の主張をみんなにわかってほしいとは思っていない。

 

 

 

 

 

 

だけど、周りにルフィみたいな奴ばかりなら死にたくなるという私のような人間はいるはずだと信じている。

 

 

 

 

 

冒頭のルフィなんか私なら3秒以内に手が出ているし、ビビなんかガン無視である。

 

 

 

 そろそろまとめに入っていく。

 

 

なんどでも言うが

 

「友達」をどうして自信満々に「良い」とそこまで断言できるのか?

 

 

 

 

 

3.仲間なんていても成功しない

 

「友達至上論」の哲学の根底を一言で表すと、

 

 

「いないよりはいたほうがいいでしょ」

 

である。

 

 

 

キケローというかなり昔のローマの人が『友情について』のなかで、これを既に述べている。

 

 

 

 

 

彼によると、「あらゆる物事には、二面性があるが、こと友情については、その価値について疑うものはいない」のだという。

 

 

 

 

 

だが、 私は疑ってみせる。

「友情」は果たしていいことづくめなのかと。

 

 

 

 

 

 

 

ここ5年位毎日考えていたテーマの一つである。

そして、ある程度結論は出た。

 

 

 

 

 

 

「友達はいないほうがいい」

 

 

 

 

 

 

我々は、ジャンプを読みすぎたのだ。 

我々は、友情の大切さを学びすぎた。

我々は、なによりもまず、友達を優先しすぎた。

 

 

 

 

 

 

 友達の大切さを学んだ結果、

 

その延長線上にSNSに命をかける人間が生まれ、LINEを10分に一回みる人間が大量生産された。

 

 

 

 

 

 

どれほど無駄な時間を浪費するのか?

 

 

 

 

 

 

 

友達がいない男の愚痴でしょ?

 

 

と思われても構わない。 

 

 

 

 

 

しかし、傍から見ると時間という命の砂時計をどうしてそんなにぞんざいにあつかえるのか私には理解が出来ない。

 

 

 

 

 

ダイエットすべきだ。

贅肉を削ぎ落としてはいかがか。

 

 

 

 

 

断ち切ることで時間を確保し、鍛錬を行おうではないか。

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 お読みいただきありがとうございました。

 

 

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