私は高杉晋作

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私は高杉晋作

頭がおかしいと言う人が「頭がおかしい」

あなたの息苦しさを開放する1つの言葉〜SNS、会社で人々は病んでいる〜

「日本は自分を出しにくい」

 

 

 

 

 

 

 

多くの人が本やテレビなどでいう言葉である。

 

 

 

 

確かに、「生きづらい」という人も多い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

仕事を辞める最大の理由が「人間関係」であることからも、日本は煩わしいところが多いのであろう。

 

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「なぜ自分を出しにくいのか」を本日は考えてみた。

 

 

 

そして、私なりに、どう生きればいいか考えてみた次第である。

 

 

 

 

 

 

1.「楽しい」の価値尺度

 

 

 

日本の息苦しさの一つに「楽しい」というものへの考え方が結構偏っているからかもしれないと最近思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

例えば、会社の諸先輩に「休みの日は何をしているのか?」と聞かれて、

私は、入社当初

 

 

「(一人で)本を読む」

 

「(一人で)本を読む」

 

「(一人で)カラオケをする」

 

「(一人で)文章を書く」

 

「(一人で)食事をする」

 

 

 

 

 

 

という話をすると「あーこいつかわいそうなやつだ」

という顔をされていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

なんというか私とその他大勢の人たちの間には、トルストイも『戦争と平和』の執筆を諦めざるを得ない闘争状態かもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

まあ私も戦争はしたくないので、最近は言ってほしそうな事を言うようにしている。

 

 

 

 

「同期と遊びに行ってます(ウソ)」

 

「みんなで飲みに行ってます。(ウソ)」

 

 

 

 

 

 

 

そう言うと喜ぶのだ。これがオカシイ。

嘘を言っているのは私らしくないと思われるかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

だが、実は、その反応をみて「ニヤニヤする」 という変な遊びをしているので、私は相変わらず変人である。

 

 

 

 

 

安心してほしい。 

 

 

 

 

なんというか日本では、「楽しさ」は一人で感じることは許されないらしい。

 

 

 

 

 

毎日毎日、同じ人間たちと飲み会やランチに行くのは、帝京大学ラグビー部もおどろきのスクラムである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まあ気持ちが悪い事この上ない。恋仲なのだろうか。 

 

 

 

 

 

 

 

彼らは「一人でいる」=寂しいというパラダイムに縛られている。

 

 

2.SNSほど日本にフィットするものはない

 

 

 

 

 

この「楽しい」を共有しなくてはという強迫観念「みんなで楽しい」=「楽しい」というパラダイムの強さは日本は尋常ではない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その意味で、SNSは日本にとてもフィットしているツールである。

 

 

 

 

 

 

 

 

もうかなり前にSNSをやめたので最近の状態は分からないが、苛々する写真が山のようにあるのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一つだけ例を挙げると、「料理の写真を上げるやつ」である。

 

 

 

 

 

 

 

まあ1,2回ならいいのだが、ずっと上げる奴がいて、彼女たちは精神病患者だと思っている。

 

 

 

 

 

 

 

たぶん彼女たちも写真を上げることに飽々しているはずなのだが、「楽しい」=みんなで共有しなきゃという謎の強迫観念が彼女たちを縛っている。

 

 

 

難病だ。

 

 

 

 

 

 

 

他にも「飲み会の集合写真」「カップル写真」「旅行の写真」などがある。

 

 

 

これらも似たようなものだ。

 

 

 

 

 

まあこれらの詳細については割愛したい。

これについて書いていると新書が書けてしまうし、私はまだ死にたくないのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 SNSの投稿に対して

 

 

 

 

 

 

 

「誰も興味ないんですよ」

とコメントしたい経験はあなたもあるでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

ただ、さしずめ、それを言おうものなら、ルイ16世と同じ末路をたどることになるからいうことが出来ないわけです。

 

 

 

 

 

 

 

まあえらそうなことを言っているわたしも3年位前までは、Facebookなどに謎にはまっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

なんというかあそこに投稿することで、俺は「人生充実しているんだぜ」と表明しようとしていたのだと思う。

 

 

 

 

 

 

あと友達の数が多いとなんとなく嬉しかった記憶がある。 

 

 

 

 

実に愚かだった。

 

 

ただ、あるきっかけで、SNSを使えば使うほど、リアルな生活が楽しくないことに気づいた。

 

 

 

 

 

なぜかというと理由は3つある。マッキンゼー気取り)

 

 

 

 

1つが「常に人の目を気にして生きていくことになるから」である。

 

 

2つが、「楽しくもないことを楽しいと考える癖がつくから」である。

 

 

3つが、「毎日楽しそうなやつほど、SNSををやっていないから」である。

 

 

 

 

 

 

今思うとやめて本当に良かったと思っている。

 

特に2つ目の理由が大きい。 

 

 

 

 

 

 

 

 

「自分の人生に嘘をつきたくない」と考えるようになった今は、SNSに投稿したいという気持ちは一ミリもなくなった。

 

 

 

 

 

 

「おい!お前ブログやってるじゃねえか。同じだろ。」

 

 

 

 

 

 

と言われるかもしれないが、同じに見えて実は異なるので許してほしい。

 

 

 

 

 

 

 

なぜなら、今書いているこのブログは知人の誰にも教えていないからだ。

 

 

 

最近読んでくれる人が増えてきて、知人が読んでないか不安ではあるが、、、笑

 

 

 

 

 

 

 

別に人生が楽しいふりをせず、ありのままに文章がかけるからブログをやっている。

 

 

 

 

もし知り合いがたくさん見ることになれば、書くことをやめるだろう。

 

 

 

 

 

話が長くなった。まとめに入りたい。

 

3.利己的に生きてみる

 

 

 

私は、ニーチェの言ったような「善人面した悪党」がとても嫌いである。

 

 

 

 

 

 

 

具体的には

「みんなでがんばろうな」

 

 

「お前のために言ってんだぜ」

 

 

「今日楽しかったよな」

 

 

「仲良くしような」とか言う人間を指している。

 

 

 

考えてもみてほしい。

 

 

 

 

 

「誰かが結婚する」「飲み会楽しかった」という投稿にいいねやコメントがあつまるが、一言で片付ければ、「楽しそうだね」「いいなあ」ではなく「興味が無い」だろう。

 

 

 

 

 

 

私からすれば、そんな時間の浪費をしている間に、岩波文庫でも読めと言いたいものだ。

 

 

 

 

 

こういうことをいうと私はとにかく叩かれるだろう。

 

 

 私のこの考えは、市民権を得ることが出来ない。

 

 

 ただ、私の考えは、極めて純粋だ。

 

 

 

 

 

 

まあ、人の幸せについてとやかく言うなといわれそうだが、あなたが心の底から楽しかったり幸せならそれでいいのだ。

 

 

 

 

ただ、「楽しくもないことを楽しい」と言ったり『充実している」と言っているなら、是非やめるべきだと言いたいだけである。

 

 

 

 

「親が勉強しなさい」というのは、子どもがニートになれば、世間体的に自分が困るからである。

 

 

 

 

「彼女のためにごちそうしたディナー」というのは、男は、ほとんどが「SEX」をするためである。

 

 

 

 

 

SNSでイイねをする」というのは、「ほんとうに良い」から押してるのではなく、自分が「イイネされたい」という打算である。

 

 

 

 

 

 

 

なぜ善人面するのか?

 

 

悪人になれ。

 

 

 

そして、少し利己的になってみてほしい。

 

 

私も悪党だ笑

 

 

それで、随分と生きやすくなった。

 

 

 

 

 

 

お読みいただきありがとうございました。

 

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