私は高杉晋作

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私は高杉晋作

頭がおかしいと言う人が「頭がおかしい」

本当の絶望とは何か?

あなたは絶望したことがありますか?

 

 

 

 

「大好きな人に振られた時?」

 

 

センター試験でマークミスをした時?」

 

 

「行きたくもない飲み会にいった挙句、飲み代6000円取られた時?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

以上は私が人生で絶望した時です。 

しかし、キルケゴールいわく本当の絶望とはこういった絶望のことをささないようです。

 

 

 

 

 

 

 

 

本日は、『死に至る病』を用いて「人間にとっての絶望とは何なのか」考えてみました。

 

 

 

1.「絶望している人間」とそうでない人間の違い

 

 

キルケゴールによれば、絶望しているかどうかというのはその人の生き方で決まるようです。

 

 

人間の生き方には2種類があります。

 

1.感性的な生き方

2.倫理的な生き方

 

 

 

 

 

 

このうち前者の「感性的な生き方」をしている人間を「絶望している人間」キルケゴールは定義付けます。

 

 

 

 

 

では、感性的な生き方とはどういう生き方なのか?

 

これは端的に言えば、「自分の外側に没頭する生き方」と述べられています。

 

 

 

自分の外側に没頭するというのはどういうことか?

これは、例えば「もてない」という状態にあるときに現れます。

 

 

 

1.体を鍛えてかっこいいカラダを手に入れよう。

2.風俗いくしかないな。

 

 

 

 

 

 

後者のほうがお金さえ出せば即時的に快楽を得ることが出来ます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

パチンコ依存症アルコール依存症、ゲーム依存症というのも極めてこの「感性的な生き方」といえます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この感性的な生き方をすることは、「自分自身を見失っている状態」であり、これこそもう死んでいる状態だとキルケゴールは考えました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

生ける屍というやつですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一方、倫理的な生き方とはどういう生き方か?

 

 

 

 

 

 

 

 

これは、「自分の内側にあるものに没頭する生き方」です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いわゆる「エゴが強い」や「ストイック」「個性的」と言われる人たちがここに属します。

 

 

 

 

 

 

 

この「倫理的な生き方」ができる人は、自分の不遇な状態やコンプレックスに対して、自分を変えることで適応しようとします。

 

 

 

 

 

 

人生で嫌なことがあった時にも前を向くことができるこの「倫理的な生き方」こそキルケゴールは目指すべき人間像と述べます。

 

 

 

 

2.なぜ友達はいらないのか?

 

 

この問いを私はブログのなかで何度も投げかけてきましたが、キルケゴールもその主張を補強してくれます。

 

 

 

 

 

 

キルケゴール「倫理的な生き方」を実行する上で必要なのは孤独だと述べます。

 

 

 

 

 

他者がたくさんいることで流されたり刹那的な快楽に流されてしまうのです。

 

 

 

「飲み会行こうぜ」

 

「風俗行こうぜ」

 

「パチンコ行こうぜ」

 

 

 

 

 

私自身友達が一人もいなくなってから自分に厳しく接することができるようになった実感があります。

 

 

 

 

 

 

 

友達というのは集まると「全体主義」 社会と同じ状態になります。

 

 

 

 

 

 

 

これはどういうことかというと集団の存続のために個性の感情を極限まで削ぎ落とすことが求められるのです。

 

 

 

 

ヒトラーは今は悪という烙印がおされていますが、「友達」はその逆の善という烙印が押されています。

 

 

 

 

 

 

しかし、全体主義という意味では、双方ともやっていることは同じであり、 あなたは友達が増えれば増えるほど自分自身を見失うかもしれません。

 

 

 

 

 

 

 速くひとりでも多くの人を幻想から解きたい

 

 

 

 

 

 

 

 

そういう思いで、今後も、友達不要論を説き続けることが私の使命です。

 

 

 

 

 

 

3.サラリーマンとは「感性的な生き方」を助長するのではないか?

 

 

 

毎月給料日に思うことがあります。

 

 

「この日にお金が振り込まれるから俺は会社をやめていないのかなあ」

 

 

 

 

 

 

 

 

これは愚痴ではありません。

今の会社には正直不満は全くありません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

しかし、「給料」というのは自立心を著しく奪うものであると最近強く感じます。

 

 

 

なぜなら、生活できないほどの出来高制の会社は殆ど無いからです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

うまくいっても上手くいかなくても生活できるくらいの給料が振り込まれてくるため、我々を退廃的かつ快楽的な人間にしてしまう気がします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

サラリーマンは、仕事時間だけでなく、付き合いという形で飲み会やゴルフといった形でプライベートも流されることを余儀なくされます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こういったことを考えると、サラリーマンとは「感性的な生き方」を権化したものと言わざるをえないですね。

 

 

 

 

 

 

 

これがビジネスオーナーやフリーランスの場合は全く異なります。

0になる可能性が大いにあるわけです。

 

 

 

 

 

そして、彼らは極めて孤独にかつ、倫理的に生きなければなりません。

 

 

 

 

 

 

キルケゴールの言う「倫理的な生き方」に憧れるのであれば、サラリーマンであってもぬるま湯につかろうとせず、自分に厳しくならなければなりません。

 

 

 

 

 

 

自分を見失う前にまずは「孤独になる時間」をつくりませんか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

本当の絶望とは、「自分を見失うこと」であり、それは孤独になることで防ぐことができるということです。 

 

 

 

 

 

 

お読みいただきありがとうございました。

 

 

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