私は高杉晋作

頭がおかしいと言う人が「頭がおかしい」

20代の若者が今流行の「マッキンゼー流」の仕事術の核を捉えてみた

約 6 分

最近本屋に並ぶ「マッキンゼー」や「Google」という言葉

 

 

 

サラリーマンにとってのトップリーグが、Googleとマッキンゼーというのは昨今では割と浸透しつつあるようである。

 

 

 

今回イーサン・M・ラジエル氏の著書を軽い気持ちで読んでみたところ、、、

 

マッキンゼーの仕事に対する向き合い方は、日本人に一番足りないものを教えてくれると思った。なので、今回は、稚拙ながらその一部をご紹介したい。

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1.成熟社会の日本における「仕事に必要な能力」とは

マッキンゼー出身で有名な大前研一氏の著書『日本の論点』(2015)のなかで日本人の課題について以下のことが書かれている。

 

 

そもそも日本の教科書に論理学や論理思考は載っていない。日本の教育の一大欠陥と言えるが、その理由は考えてみると明治以降の近代化プロセスが「欧米列強に追いつけ追い越せ」だったことと無縁ではない。先行して既に出ている答えを頭から丸呑みしたほうが手っ取り早いのだ。答えを覚えたもの勝ちという価値観が支配的だったために、日本の教育体系から論理学は全く抜け落ちてしまった。

 

 

 

 

 

大前氏の話をまとめると昨今のビジネスマンに求められる能力である論理力が今の日本人には著しく欠如しているということだ。

 

 

背景を少し説明したい。

高度成長期時代は、アメリカやヨーロッパのような日本の先を走る国々の真似をしさえ良かった。

つまり、真似をすることこそが最大の価値とされた。

 

だから、現在批判されている大学入試の形態は「高度成長期においては」極めて合理的であったといえる。

 

 

 

しかし、現在は生活インフラは整い低成長時代である。

加えて、世界のフロントを走る国として追われる立場になった。

 

 

 

こういった時代にあっても、新興国やアメリカをはじめとする既存の先進国と対等に渡っていかなければならない。

 

 

 

 

その厳しい競争を戦う上で今の日本に著しく欠如している能力が「論理力」であるというのが大前氏の主張だ。

 

 

少し飛躍があるように見えると思うので、「なぜ論理力がそこまで大事なのか」、つまり「論理力と国力の関係」について私なりに咀嚼してみた。

 

 

 

 

 

まず、現在は国を超えてヒト・モノ・カネ・情報が飛び交うグローバル社会に突入している。

 

 

そういった時代にあって、日本人の「言わぬが花」や「腹を探る」といった行為は致命的なようだ。

世界標準で言えば、何も言わなければ何もおこらないのである。

 

では、世界的な標準とは何なのか?

 

 

それは「論理的に話し、相手を腹落ちさせること」なのである。

 

 少しは、話がつながったと感じていただけると幸いである。

 

 

 

残念ながら、「論理力」は日本人が一番苦手な能力かもしれない。

 

 

 

 

中国やインドなど成長著しい外国では、英語・社会・数学などにならべて「論理」を学ぶ機会を多数用意していることからも、教育を変えなければ、ビハインドは益々広がるであろう。

 

 

 

ただ、それはさておき、現在もう社会に出てしまった人たちはどうもできないのか?ということに答えなくてはいけない。

 

 

その答えは、学校で教えてくれないなら、自分で論理的に話す方法を学ぶしかないということである。

 

 

それを「マッキンゼー流」から学んでみてはいかがかというのが私の結論だ。

 

 

 

2.マッキンゼー出身者が大切にしている価値観とは

 

結論から言うと「ファクトをもって物事を語ること」である。

これは、前項で述べた大前氏の「論理力」とほぼ同義である。

 

 

 

マッキンゼー出身で有名な「ちきりん」でお馴染み伊賀泰代氏も『自分のアタマで考えよう』(2011)という著書においてこのファクトをもって物事を語るということを極めて大切にしているようだ。

 

 マッキンゼー出身者のアイデンティティにはどうやら「ファクトを持って物事を語る」は染み付いているようだ。

 

 

 

 

改めてになるが、私も含め日本人はこの手の能力が低い。

 

 

 

というのも例えば、「インターネットのせいでいじめが増えた」と言う人が割と多い。

この「インターネット悪玉論」は、全くの荒唐無稽だ。

 

stopijime.jp

 

インターネットがもしいじめを増やしたのなら、インターネットの普及率といじめの件数に相関関係がないとオカシイ。しかし、上記のサイトにもある通り、全く根拠が無いのである。

 

 

 

 

他にも「公務員が多すぎるから減らせ」なども代表的な例といえる。

図録▽公務員数の国際比較

 

上記のサイトを見れば明らかだが、先進国のなかでも日本はとても公務員の数が少ない。それよりも生活保護受給数が増えていることのほうが大きな問題である。

 

www.jiji.com

 

三橋貴明氏が著書『国民の教養』(2011)のなかで述べているが、公務員をある程度増やして生活保護になる人を減らすほうが経済全体で見ればプラスなのである。

 

 

少し話がそれたが、まとめると

 

日本人は「ファクトを調べる」作業を怠りがちである。

それが、今後のグローバル時代において致命的である。

だから、「ロジカルさ」を日々意識して生活すべきだ。

 

ということになる。

 

 感情論ではいけない。

 

プライベートな会話で「ファクトは?」といわれたら正直私もドン引きであるが、ビジネスにおいてこの大事さを我々は「マッキンゼーの仕事術」に学ぶべきかと思う。

 

 

 

3.「ロジカルさ」をどう養うか?

 

最後にこれからの時代に必要とされるこの能力の養成方法について持論を述べたい。

 

 

まず「ロジカルさ」はなぜ必要かというと、「仮説」をたてるためだ。

 

 

仮説とは、もちろん正解ではない。間違っている可能性もある。 

しかし、この仮説形成能力は、真似する対象がなくなった日本にとって常に実施することが求められる。

 

 

 

そして、ある仮説を100%に高めていく作業が「ファクトを集める作業」であり、この一連の流れを簡潔に説明できる人間を「ロジカルな人間」というのだと思う。

 

 

 

 

ちなみにこのファクトを調べる作業にも能力差がでると思う。

その能力差は何によって生まれるかというと、日頃の蓄積された教養である。

教養がないと調べ方がわからないということが往々にして起きる。 

 

 

 

 

 

では、どうやって教養を得るかだが、もちろんこれにはたくさんの方法がある。

私がいいと思う方法を二つ紹介したい。

 

 

一つは、書籍である。

なぜ書籍かというと、例えば、政治・経済動向をかなり深掘りすることができるし、なにより我々自身が書店で「あるトピック」に興味を持ち購買行動をとっているので、対象となる事物から吸収率が良いというのが私の考えである。

 

 

 

 

もう一つは、メンターとの出会いである。

メンターとは、日本語で言うと師匠に当たるのだが、これは本著にも記載されていた。

人数については、何人かいてもいいかなというのが私の持論だ。

 

 

これは、どうしたら出会えるのだろうかというのが難しいところだが、今の環境を変えることに尽きると思う。

既存の関係とはコンフォートゾーンなので、なかなか離れるのは容易ではない。

 

 

学生生活の関係からとびだしてみてはいかがか?

会社の同期会は程々にしてはいかがか?

 

もしよろしければ、実践してみていただきたい。

 

 

 

なんか成功者ずらして偉そうにすみませんでした。

「そもそもおまえがロジカルじゃねえよ」と言われそうだ。。。。笑

 

許してください。。。。。自分に言い聞かせる意味で書いてますので、、、、

 

 

お読みいただきありがとうございました。

 

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