私は高杉晋作

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私は高杉晋作

頭がおかしいと言う人が「頭がおかしい」

なぜ今のオヤジはつまらないのかを知りたくて考えてみた。

今回は、現代の日本人が良き文化を改悪し、継承していることについて言及したいと思います。

 

 

 

1.消えた信念ある侍のような男

「主のためならば我が身は厭わぬ」

天皇陛下バンザイ」

 

 

こういった「自己犠牲の精神」というのは、少なくとも武士の時代から日本が戦争に至るまで、引き継がれてきました。

 

 もちろん人が死んでいくことを喜ぶべきではありません。しかし、そこには、一つの「勇ましさ」や「たくましさ」が見えます。

 

 

 

 

しかし、最近の自己犠牲というのはロクでもありません。

「平日は9時まで残業。そのあと会社の飲み会。土日はイオンモールで家族サービス」

「息子の笑顔を見るのが生きがい」

 

 

 

現代版自己犠牲の代表例を挙げましたが、「勇ましさ」は皆無です。

 

 

前者と後者には圧倒的な違いがあります。

それは、「守るべき信念の有無」です。

 

 

われわれが、戦争映画や名作アニメなどで、潔く死んでいくシーンに涙してしまう事が良くあります。

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映画だったりアニメの見せ所であることが多いですよね。

ここには、「守るべきものへの信念」が見えませんか?

 

 

 

 

アルマゲドンNARUTOをしらなければ、ドラゴンボールとかダイハードとかでもいいんじゃないでしょうか?

 

 

 

 

 

では後者のほうは、どうでしょう。

 

 

「俺は、、、、家族サービスを、、、、、」

と言いながら死んでいったとしましょう。

 

 

 

 

 

そこには、なんの感動もありません。

こういうたぐいの男は平日速く家に帰ってきても「巨人戦をみながら評論家になる」か、「ゴルフスイングの練習をしている」というのが関の山で、そんな大人をみても子どもは軽蔑するだけでしょう。

 

 

 

 

「俺は家族を守っている」

という反論が帰ってくるかもしれません。

 

ただ、あなたの妻は、あなたのことを「給料袋を持ってくるペット」と思っているかもしれません。

 

 

 

こういうたぐいの女もぶん殴りたくなりますが、今回はとりあえず、威厳なき男への怒りに集約します。

 

 

 

 

 

 

現在夫婦の3分の1は離婚します。(厚労省調査)

事実上破綻しているものもいれば、半分以上は「守ってくれる夫が頼りになって好き」なんて言葉はひっくり返っても出てこない夫婦でしょう。

 

 

 

 

 

 この最大の原因は、「男の信念ある生き方の喪失」にあると思うのです。 

 

 

 

 「給料はすくないけど、仕方なく結婚生活をしている」という上から目線の女が現れるのは、男のせいです。

 

 

 

 

 

信念ある男はどこに消えたのでしょうね。

 

 

 

 

 

 

2.日本においてどういう精神を持つかこそが極めて重要

なぜ私が、「信念を持つこと」が重要と考えるかというと、それは日本人にとってとても大切なことだからです。

 

 

 

 

背景を説明すると、日本においては「どう生きるか」と考えるよりも、歴史的にみると、「どう死ぬか」のほうが重要視されてきました。

 

 

 

 

 

 

この日本の「どう死ぬか」の背景には、集団社会であったことと極めて強い関係があると思います。

つまり、コミュニティの発展のために時に個人は犠牲になることが求められたのです。

 

 

「家のために」

「大将のために」

天皇陛下のために」

 「家業のために」

 

 

これらは今の時代からすると哀れに映るかもしれません。

 

 

ですが、一方で、こういった強い信念を持っていたからこそ、当時の男たちは勇ましく、女性がたてる価値のある男だったと思うのです。

 

 

 

 

その力強さを見習う必要はあると思います。

 

なにしろ「自分を犠牲にする行為」には相当確固たる信念が必要でしょうから。

 

 

 

 

 

 

時代が変わった現代における「自己犠牲」とは何なのでしょう? 

 

 

 

会社の飲み会に行きたくないのに行くこと???

妻に給料袋を取り上げられ月2万円のお小遣いで生活すること???

 週末にイオンモールで家族サービスすること??

 

 

 このような信念なき、犠牲は、たんなるバカか奴隷でしょう。

 

 

3.自己犠牲という言葉の意味を間違えてはいけない

 

自己犠牲とは、「自分の人生を誰かのために差し出す」、「馬車馬のように働く」とか「会社の飲み会に行く」という意味ではないと思うのです。

 

 

 

 

自己犠牲の本質とは、「自らの快楽よりも、不特定多数の人々のために行動し、人々に感興を起こさせること」ではないでしょうか。

 

 

 

今の男性たちは「イクメン」や「人生送りバント」になる前にこの精神を取り戻す必要があると思うのです。

 

 

 

「自己犠牲の意味」を今一度問いなおしてみてはいかがでしょう。 

 

 

お読みいただきありがとうございました。

 

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